しくじった。
 急所じゃないにしろ、血を流しすぎた。
 止らない血をどうすることも出来ずに俺は倒れこんだ。

 目が覚めた。
 一番初めに入ったのは白い人。
 思わず距離を取ろうと起き上がった。
 腹部に激痛が走る。

 呻く俺を余所に白い人は淡々と傷があるとだけ告げる。
 態々指摘されずとも、この傷が原因で倒れたんだ。
 知らないわけがない。
 反射的に睨み返していた。

 いつもの俺ならもっと冷静に判断が出来たはずだ。
 こんなことをすれば、相手の機嫌を損ねるだけだ。

 睨み付けた俺に対して白い人…白い女はこちらをじっと覗き込んできた。
 それ以上のことはしてこない。

 ただ、その表情には何の感情も浮かんでいない。
 それが無性に腹立たしかった。


 動かない表情を静かに俺を見ている。数分。数十分かもしれない。
 睨み付けていた俺もいつの間にか、白い女の灰色がかった白い瞳を覗きこんでいた。
 これだけ組織の薄い瞳。
 視力はほぼないに等しいはずなのに、この白い女には関係ないらしい。


「まだ、死んでなかったみたいだな」
「ったく、手間掛けさせやがって」

 白い女に注意を取られすぎていた。
 あいつら、俺が怪我を負った原因のあいつらの気配に気付かないなんて…。

 すでに声さえ届くほどの距離。
 どうする…。

 俺が思案する中、ふらりと白い女が立ち上がった。
 あいつらのように獲物も何も持っていないのにも係わらず、無造作に近づいていく。


 ゾクリと背中に冷たいものが走る。
 あいつからじゃない。
 あの白い女からだ。

 あいつらの顔も恐怖に引きつり始める。
 逃げ出そうと背中を向けた瞬間、あいつらは真っ赤に染まった。
 白い女は白いままだ。
 不意に白い女はしゃがみこんだ。
 あいつらが使っていた獲物を拾い上げたようだ。

 獲物を掴んだまま、こちらに戻ってくる。

 俺もあいつらのように殺されるのか。
 感情が削げ落ちたような顔を見れば、たった一つだけ赤く染まっていた。
 灰色がかった白い瞳が赤く染まっていた。

 初めて赤が綺麗だと感じた。
 殺されるということも何もかも忘れて俺は赤い瞳に魅入る。
 それが、俺の目の前まで来る頃には、その色は失われ元の灰色がかった白い瞳に戻る。
 いや、それよりも少し灰色の色が濃くなった気さえする。

 その不思議な瞳に魅入られた俺を現実に引き戻したのは、その瞳の持ち主。
 白い女だ。

 俺の目先にナイフの柄を突き出した。

 柄。
 そう、ナイフの柄だ。
 刃ではない。

 どういう意味だ?
 俺を殺さないのか?


「…これは?」
「恐らく、毒があるから取り扱いには気をつけろ」
「……どうして俺に?」
「私にはこっちがある。獲物は二つもいらない」
「…殺さないの?」
「殺されたいの?」
「…いや、だ」
「なら、早く受け取ってくれる?」
「うん…」

 慎重に毒があるというナイフを受け取る。
 白い女はどこかしら満足そうな顔をしている。
 あくまでも気がする程度だ。
 俺がそう思いたいだけかもしれない。

 女はまた俺の隣に座る。
 あいつらが来るまでとは何一つ変わらない関係。
 それを変えてみたくなった。

「クロロ…クロロ=ルシルフル…俺の名前…」
「そうか、クロロ」

 名前を告げれば、白い女は当たり前のように俺の名前を口にする。
 不思議だ。
 名前を呼ばれただけだというのに、嬉しいなんて思うなんて。俺らしくない。
 けど、やっぱり嬉しい。

 この女の名前を知りたい。
 思い切って聞いてみる。

「…名前を聞いてもいい?」
「名前?」
「うん。貴方の名前」
「ない」
「…ないって名前?」
「違う。名前は『ない』」
「つまり、名前そのものがないってこと?」

 女は頷くだけで、それを肯定した。

 躊躇なく、名前を『ない』と言った女。けれど、俺はこの女の名前を呼びたい。
 どうすればいい?
 ぐるぐると思考が回りだす。

 呼びたい名前が存在しない。
 名前が呼べない。
 名前があれば、呼べる。
 名前があればいいんだ。
 そうか、俺が名前をつければ、名前を呼べるんだ。

「俺が…名前を考えてもいい?」
「……」

 初めて女が沈黙した。
 赤みが差した瞳を細め、俺を見つめる。
 やはり、綺麗な赤だ。

「私に名前をつけるか…面白いことを考えるなクロロは…」
「……だめなら、やめる」
「いや、構わない。『名前』を付けてくれ、クロロ」



 それから二日間。俺は名前を考えた。

「――

 俺の呼びかけに、女…は微かに笑った気がした。

魅入った貴方に捧げる